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  「千葉同友会の足跡を探る」 【その2】

― 相澤 友夫氏 鰍「しとも 会長 ―

   千葉同友会相談役、設立発起人
    船橋支部長、組織委員長、総務委員長等を経て、
    1993年度〜1994年度代表理事、2009年度より相談役

(聞き手  川西事務局長)  

 

□千葉同友会は1975年に全国で17番目の同友会として発足したわけですが、その創立総会で司会をされたとか。

 私の会社は1973年(昭和48年)、第一次オイルショックの時にできた会社で、その2年後に縁あって千葉同友会の設立発起人となり、当時32歳で創立総会の司会を担いました。
 千葉県経営者協会の代表だった斎藤豊さんに創立時の同友会の代表理事の一人になっていただいたのですが、斎藤さんから「これからは君達の時代だよ」と言われたのが今でもとても印象に残っています。

□創立2年目に早くも青年経営者全国交流会を千葉で開催します。

 創立当時は私を含めてみんな若かった。ですから青年経営者の育成に力を入れており、「青年経営者全国交流会」の千葉県に招致することになりました。このことが千葉同友会を飛躍的に発展させた原動力になったと思います。各支部の例会と勉強会を軸に仲間としての団結と励まし合いも強化されました。
 その時創立した青年経営者懇話会(略称:青懇)のメンバーであった、北原俊彦さん(竃k原防災社長)や杉山武さん(税理士法人トーク代表)や私もその後代表理事を担うなど、一所懸命同友会活動をやってきたつもりです。

□創立後、2年目にできた船橋支部の初代支部長を担われました。

 そうです。その頃は、自分もようやっと経営者の端くれになったばかりだし、経営も安定しているとは言えないし、同友会のこともよく理解しておらず、試行錯誤の連続でした。当時は会にカネもありませんし、事務局も1人2人という状況で、ある時など、例会にたった3人しか集まらないこともありました。予定はもっと多かったので食事がたくさん余り、支部長としての責任から自腹を切ったこともありました。

□そんな諸先輩の苦労があって今日の千葉同友会があるんですね。

 私の苦労なんてしれていますが、当時は事務局体制もままならず、役員が手弁当で活動するのが当たり前でしたから、皆さん大変だったと思います。また草創期には事務局員への給与の支払いもままならず、当時の事務局員には本当に苦労をかけました。

□創立後、1988年に1000名の会員数になりました。その時には、相澤さんは組織委員長として1000名達成の先頭に立たれましたね。その後、1991年には1450名を超えるなど、千葉同友会は比較的会勢の点では順調に伸びてきました。

 そうですね。1000名を超えて1500名近くまでに達することができたのは、千葉同友会の場合、「自主」を重んじるリーダーに恵まれたことが大きかったと思います。とりわけ、先ほども触れた斎藤豊さん(故人、千葉同友会初代代表理事・会長・名誉会長を歴任)や志伊良正幸さん(千葉同友会初代代表理事・会長を歴任。現相談役)のリーダーシップが大きかった。斎藤豊さんが口癖のように言われていた「同友会は会員増強の会」という言葉が、その人柄とあいまって「斎藤さんに言われたらしょうがない」という雰囲気を作り出し、それに押されて私たちも増強に駆り立てられたのではないかと思います。

□1995年2月には、第25回中小企業問題全国研究集会が開かれ、その実行委員長を担われました。

 あの時は、丁度1月16日に阪神淡路大震災が起こり、その衝撃と共に、関西からの参加が激減するのでは…という危機感を持ちました。全国研究集会成功こそが、「被災地・兵庫同友会への最大の支援」という立場で皆さんが頑張っていただいたお蔭で、不屈の精神で立ち上がった兵庫同友会の代表の方々も含めて1200名の参加で成功することができ、大変有難かったです。

□当時、3人の代表理事のうちのお1人として実行委員長をされ、その年で代表理事を退かれました。

 そうですね。やはり我々草創期のベテランがいつまでも先頭にいては会が活性化しないと決意し、新たな3人に委ねました。その時の代表理事の一人として抜擢されたのが、現在中同協幹事長(千葉同友会会長)として活躍されている広浜泰久さんです。このことは私たち千葉同友会の誇りです。

□それでは、40年近く同友会員としてやってこられて、どんなことが良かったと思いますか。

 1つには、経営指針を確立できたことが大きかったですね。
 1988年頃、福岡同友会から学んできた新山さん(元専務理事・元事務局長)が講師になって、金本さん(元共育委員長)、磯貝さん(元同委員長)などを中心に、「経営指針成文化」セミナーが行われ、そこに参加して得たことが大きかった。私は30代そこそこで社長になったわけですが、そこで初めて帝王学というか社長学を学んだ思いがします。つくづく自分の人間的な弱さを自覚させられました。このセミナーが今日の千葉同友会の経営指針づくり運動の基礎をつくったと思います。
 もう1つは、企業というのは、つくるきっかけは何であれ、できた以上は社会的な存在であり、社会にお役に立つことが使命であることを自覚したことでです。
 石油ショックで一部企業による売り惜しみが発覚した際に、第4回中小企業問題全国研究集会 (1974年2月)で、『我々は悪徳商人にはならない』と決議したのが印象的です。企業としての倫理が問われる事件が絶えませんが、国民や地域と共に歩む企業づくりに向けて真摯な努力を積み重ねてきたのが同友会です。
 私も微力ながら長年地元の海老川の浄化や桜の植樹など環境整備にも取り組んできました。そのことが地元から多少なりとも評価されるようになったのはうれしい限りです。

□先日(12月2日)開かれた古希のお祝いは200人を超える人が集まり盛会でしたね。障害者の方の演奏会が開かれ、様々な文化関係者や環境保全に関わっている方々、市長なども参加され、広い人脈に驚かされました。

 地域や同友会の皆さんに支えられてようやくここまで来たという思いで、感謝に堪えません。

□教育学者の大田堯先生との出会いも大きな財産ですね。

 そうですね。月1回の大田先生を囲む共育懇談会に出ていて一番学んだことは、「人間が『その気』になるというのは、他から強制されてなるのではなく、自分自身の内から湧き出てくるもの。したがって、人が育つには『その気』になる環境や仕組みを作らなければならない」ということです。

□同友会理念を生かして業界活動でも活躍されていますね。

 石材・墓石業界の改革に力をいれ、産地・加工・運送などいくつにも分かれていた業界を5年かかって統一し、このことによって行政との係わりを一本化し、業界の要望が実現しやすくなりました。また業界で働く人の地位向上と仕事への誇りを醸成するため「お墓ディレクター資格制度」をつくり、業界の中で学ぶことを大事にする社風をつくるように努力してきました。

□お話は尽きないのですが、最後に長年の経験から会員の皆さんに訴えておきたいことは?

 現在は、我々が創業したころよりも、経営環境が極めて厳しい上に、グローバル化の流れが地域を疲弊に追い込んでいます。大企業が海外に生産をどんどんシフトしていく中で、我々中小企業こそが地域の疲弊に立ち向かい、地域を元気にする先頭に立たなければなりません。経営においても同友会においても思うようにいかないことも多々あるとは思いますが、あせらず、粘り腰で経営に同友会活動に取り組んでもらいたいと思います。
 2007年にできた千葉県中小企業振興条例、2010年の中小企業憲章の閣議決定は千葉県・全国の会員の汗と涙の運動によってできた珠玉の宝です。これを活用し、各地域で振興条例をつくりあげて、中小企業が主役の時代をみんなでつくっていきたいと思います。

□特に同友会役員の皆さんに訴えたいことは?

 同友会発展の柱というのは、自主・民主・連帯の精神、学び合い、共に育つことを大事にすることの3つだと思います。
 これからは縦型から横型のネットワークで結びついていくことが求められる時代です。それは最も同友会の得意とするところなわけで、ようやく時代が同友会の考えに近づいてきたという思いがします。これからが本当の意味で同友会の出番ですね。
 現在、千葉同友会は1500名会員達成に向けて増強運動に力を入れていますが、自分自身の長年の同友会での経験からすると、役員にとって大事なことは、「会員それぞれの違いを受け入れる度量をしっかり持つこと」ではないかと思います。ともすると、運動が進まないと、他の役員がどうだとか、事務局がどうだとか、他に責任を求めがちになりますが、他責にせずに、自分自身がどれだけ同友会の夢を語ることが出来るか、自分自身がどれだけ「その気」になっているのかを見つめなおすことが大事ではないでしょうか。

□どうも力強い言葉をいただいて励まされます。長時間、貴重なお話、ありがとうございました。

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