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成田支部総会記念講演
震災からの復興
強い会社とは何か?有事に負けない会社づくり

2017年4月19日(水)
報告者:株式会社八木澤商店 代表取締役 河野 通洋氏

 八木澤商店は1807年に酒屋として創業。第二次世界大戦時に米の統制があり、近隣の8社と合併し酒の製造・販売事業は別会社に。空いた蔵で水産加工品用の醤油・味噌づくりをはじめ、今に至ります。

八木澤商店入社、そして同友会に入会
 私は高校まで陸前高田の学校に通っていました。当時、家業を継ぐ気は一切なく、アメリカの大学に進学。戻る気はなかったのですが父が脳梗塞で倒れたことを聞き、急いで帰国。3年ほど他社で修業した後、(株)八木澤商店に入社しました。しかしその年、洪水で蔵に大きな被害を受け、年末の賞与を減額させてもらえないかという全社説明会を行いました。私は「当然社員は家族なんだから分かってもらえるだろう」そう思っていたら反発を受け「なんだ、人間同士の信頼関係じゃなくて金で繋っている関係じゃないか」と社員に不信感を持つようになりました。
 なんとか経営を立て直したい思いで、自社の決算書と様々な経営のハウツー本をもとに経営計画を作り始めます。先代である父から「金融機関に借り入れの相談に行くから一緒に来い」と言われ同席すると、当時のメインバンク支店長から「これ以上は貸せない」と融資を断られました。一度も赤字を出したことがないのになぜ?と思い勉強してみると、会社が減価償却をしておらず、含み損もあるのではと疑われてたことがわかりました。そこから計画を見直し、重箱の隅をつついてムリ・ムダを減らしていくと、キャッシュフローは良くなっていきました。すると金融機関は手のひらを返し、まだ20代の若造である私が支店長室に招かれ、計画書やキャッシュフローの改善を褒められます。自分が会社を上向きにさせたんだとすっかり天狗になりました。重箱の隅をつついて苦労したのは社員であることがその当時の私にはわかりませんでした。誰にも相談せず、一人で計画を作り、そして社内の計画発表会も行いました。社員の誰からも批判はなく、うまくいっていると思っていました。
 そんな時、隣県の宮城同友会気仙支部から入会の誘いがあり、例会に参加しました。すると普段は課長や常務としか会えない水産加工会社の社長たちとも直接会えて、その上経営で困ったことがあったらウチに相談に来るといいとまで言ってもらえます。これはなんていい会だ、これでまた売り上げが上がると思い入会しました。

指針セミナー落ちこぼれ修了生
 宮城同友会の名物は経営指針セミナーで、受講者は泣かされて帰ることで有名だと聞き、それならと自分一人で作った5ヵ年計画書片手にセミナーを受講しました。もう計画が出来上がっているので学ぶ気なんてサラサラなく、俺はここまでやっているということを見せつけにいっていました。
 あっという間に半年経って、ホテルでセミナー修了パーティが行われました。周りが涙を流して取り組んでいるのを横目に見てきて、なんとなく自分だけが何も変わってないことに気が付きました。さすがに修了パーティの場で先輩には聞けず、同期で現在の宮城同友会副代表理事を務める(株)ヴィ・クルーの佐藤社長に、そのことを打ち明けました。すると人が大勢いるパーティ会場なのに彼にその場で座らされ、二時間滔々と諭されました。「やっと人の話を聞く耳を持ったか、あんたのとこの社員は地獄だ。あんた一人で仕事ができるなら一人でやってみろ、社員はあんたの道具でも、利益を上げるための手段でもない」自分が作ってきた会社がどういうものだったかを痛感し、パーティに出る気にもなれずホテルの部屋に戻り一人で泣きました。
 会社のお金と時間ばかりか、人の時間まで使って、いったい自分は半年も何をやっているのだろう、自分のような人間が同友会にいてはいけない、翌朝に退会しようと思っていました。そうこうしていると佐藤社長が部屋に来たので、退会の旨を伝えました。すると「あんたも経営者のはしくれだろう、最後まであきらめないという経営責任を果たせ。明日の朝まではまだ時間がある、一緒に考えよう」と言われました。しかし、朝までうなっても理念は出来上がらず、翌日の発表会では、まだ理念が腑に落ちないので持ち帰らせてほしいとみんなの前で謝りました。それでも一晩中、一緒に頭を抱えてくれる仲間がいるということに救われました。

理念づくりは全社一丸で
 会社に戻り、理念づくりも社員を巻き込んでやっていきたいと考え「これからは、経営者と社員は信頼関係を築いていい会社を作っていこう。みんな協力してほしい」と真剣に伝えました。数か月前に「信頼関係で飯は食えない」と社員に言い放ったことをすっかり忘れたまま。当たり前ですが社員からは猛反発、すぐに4名から辞表が出ました。それでも本当の意味での「会社の理念」は社員を巻き込んで作らなければという思いがありました。当時まだ社長だった父の所にいき、なんとか理念を成文化したいと伝えると「理念は言葉にできるものじゃない、俺が経営理念だ」と言われ途方に暮れました。次に幹部会議にその話をもっていきましたが四面楚歌。せめてベースくらいは持ってこないと話にならないと言われ、苦肉の策で京セラの理念を配ったこともありました。
 しかし、理念づくりに駆け回る自分の姿が少しずつ社員にも受け入れられ、月に二回、半日も工場を止めてグループ討論をするようになりました。最初はいろんな声が挙がりました。「理念はいいけどそれで給料があがるのか」「労働生産性を上げろと言っていた張本人が工場止めて何をやっているんだ」そんな中でも討論を重ね、私たちは何を目的に働いているのかを言葉にしていきました。

地域で一社もつぶさない、倒産させない
 陸前高田市から宮城同友会へ通う会員で集まり、自分たちの町にも支部が欲しいという話になり、自動車学校を経営する田村支部長のもと、仲間を募り支部を立ち上げました。
 設立のセレモニーには市長・町長らも招き70名以上の参加で開催。その後の幹事会で、なぜ同友会がこの地域で必要なのかを話し合いました。田村支部長は何度も、人口減少、少子高齢化がものすごいスピードで進んでいて、このままでは地域はなくなってしまうと話していました。じゃあ一体誰が悪いのか、こんな町・世の中にした犯人は誰なのか、首長か、大企業かはたまた別の何者か。結論としては、私たち中小企業家が悪かったんです。人がこの町で暮らしていくためには、雇用を生む必要があります。そのための新商品開発や事業展開を怠ってきたから、子どもたちから選ばれる会社にしてこなかったから町が衰退してしまったんです。
 そこで陸前高田支部は「地域で一社もつぶさない、倒産させない」をスローガンに掲げました。一社一社が経営指針を作り、共同求人で新卒を採用すること。当時会員は85名、一社一人でもいいから雇用を生めば同友会だけで地域の雇用の何割かを占められる、そうしたら地域も変わってくるのではないかと確認し合いました。
 例会ではグループ討論をやりますが、いきなり決算書見せ合いながらとはいきません。でも顔を見ればわかります。明日の資金繰りの心配で目がうつろだったり、泳いでいたりして話を全く聞けていない人がいます。そういう会社には張り付きます。会社まで行き、社長室に通してもらいます。そこで初めて「実は…」と人前では話しにくいことを打ち明けてくれるのです。そういった会社を回り、決算書を見せてもらう中で粉飾しているところもありました。「どれくらい粉飾しているの?」「もうどれだけか分からない…」そんな回答が返ってくることも。地方の中小企業は行政がお客様であることが多いです。当たり前ですが赤字決算の会社に入札権がないので粉飾決算を出してしまいます。それが実態でした。
 社長は決算書が作ることができます。社員を帰らせた後、仲間の社長たちで帳票類を全部ひっくり返し、倉庫にいって棚卸をします。私が関わった中で二桁以上の企業が債務超過になっていました。もっとすごいところでは売上総利益が赤字のところもありました。売れば売るほど赤字、しかもそれを認識せずにやっていたのです。

2011年3月11日
 あの津波で陸前高田という町は、ほぼ壊滅しました。数字でいうと市内の平地の80%が飲み込まれました。人口2万4千名のうち1760名が亡くなりました。市内の壊滅具合を見ると、本当に1800名弱の死亡で済んでいるのかというのが当時の率直な感想でした。総企業数の86.4%が津波で社屋等すべてを持っていかれました。つまり町の中に会社は2割弱しか残らなかったのです。
 弊社は日頃の避難訓練のおかげで、1名をのぞき社員は津波から逃れることができました。その日は社員と裏山の山頂で一晩を過ごします。次の日から避難所生活をしながら社員を家族の元に帰すのですが、道路は分断しているため歩いて山を越えることもあり、丸4日かかりました。社員を全員届けられたので避難所を出ようと思い、近所で和菓子屋を営む80歳のおばあちゃんに挨拶にいきました。するとおばあちゃんに手を握られ「また一緒に、あの場所で商売しようね」と言われました。
 避難所を出て、田村支部長の会社にいきました。田村さんの自動車学校は山の上にあったので建物が全部残っていました。開口一番「通洋、社員はどうした?」「4日かけて今日やっと全員送り届けられました」「今から呼び戻せる社員はいるか?」やっとの思いで送り届けたと言ってるのに、この人は何を言っているんだと思ったら、全国の同友会の仲間から支援物資が届いているとのこと。しかし市役所も被災していて受け入れられる状況にないので、自動車学校の敷地を全部使って支援物資を受け入れました。「俺たち民間で救援物資の配送をやるんだ」田村支部長の呼びかけで弊社も動ける社員に手伝ってもらい、支援物資の配給を当面の仕事として行いました。

「絶対つぶさないからな」
 震災から一週間、メインバンクの支店長が私を探し当て、訪ねてきました。いきなり手を握って「絶対つぶさないからな」なんて言うのです。社屋も何もかも全部流されていて、事業を継続するなんて一言も言っていないのに。本当にありがたいことではありますが、私は図々しくも「裏付けが欲しい」と言いました。すると即答で「当行だけじゃなく、信金含め県内の金融機関のトップが被災した企業の債務を当面3ヵ月は塩漬けすると決めました、おそらくこれは1年、2年までは延びるでしょう」と答えてくれました。すぐに同友会の事務局長がすべての金融機関のフリーダイヤルをA4一枚にまとめたものを作成してくれ、それを救援物資と一緒に配り、電話一本で自動引き落としが止まることを会内外問わず事業主に伝えました。この金融機関の対応は、緊急対策としては非常に迅速で有意な判断だったと思います。

代表取締役就任、そして再建へ
 そんな震災後の大混乱を極める中、どさくさに紛れて私は代表取締役に就任しました。当時はものすごいスピードで物事に対応していかなくてはならず、尋常ではない体力勝負の連続でした。経営者はみんな揃って円形脱毛症をつくっていました。八木澤商店は1億2千万の債務超過でお客もいない、作る設備もない、売れる商品もない、そんな状況に陥りました。そんな時助けてくれたのが同業者でした。彼らも被災から1週間で弊社にきて、経営を立て直せるまで支援を買って出てくれました。
 助けてくれた同業社のOEM生産品を売ったり、民間のファンドの募集をかけたり、ある時は東京の会社と組んだりして少しずつ経営を立て直していきました。その時に一番力になってくれたのが金融機関の支店長代理でした。休日返上で私がとりとめもなく話すこれからやらなければいけないことをすべてメモに取り、再建計画書を作成してくれました。完成したら、本店の審査部の人を会社に連れてきてもらい、その場で融資が決まり、翌日には頭取に挨拶にいく、という流れで迅速に動くことができたのです。その時に様々な補助金を活用しました。そして支部で緊急例会を開催し、この事例を決算内容も含め報告しました。参加者は支部のメンバーや弊社の幹部、金融機関の方々もいました。報告後、「こんな状態から再建できるものなのか」「ウチでもあの補助金制度は使えないか」とその場にいた金融機関の方に相談し、仲間たちもすぐに再建計画作成に取り組み始めました。

若者が将来を展望できるように
 同友会の仲間の企業のうち、震災で廃業したのは一社だけです。それ以外はみんな再建しました。それでも市内で見ると震災前の事業者数の6割しか再建できていませんでした。事業主の3割以上が亡くなっていることもその要因です。これでは地域の雇用の受け皿として全然足りていません。東京のソーシャルビジネスをしている会社と組んだり、国の予算を使って新規ビジネスを生み出したりして、雇用を増やしていきました。他にも高校の先生方と組んで高校生の雇用を守る活動も行いました。5年が経ち、陸前高田市の20-24歳までの若年者人口を調べてみると、震災直後の1.4倍。震災で残った企業が諦めずに再建をしてきたこと、学校の先生方が諦めずに他の町に働きに出るのではなく、この町で働いてもらいたいと粘り強く生徒に語り続けてくれたこと、これらが実ったのだと思います。それでも市の人口は2万人を割りました。主人を失ったり、家を失ったりで他県に出ていく人が多くいました。しかし若年層の雇用が増えたこととIターンUターンで若者が町に集まってきたため、出生率が1.8を超えました。
 この機運を高めていくために中小企業として何に取り組むか、これは非常に簡単なことです。若い子たちが結婚、出産をしても絶対に雇用は切らず、しっかりと産休、育休を取得させることです。加えて子どもが小さいうちはフレキシブルな働き方ができるよう環境を整えることです。

社会を変えていくのは誰なのか
 私たちのような小さい存在が、世の中を変えることはできないと思ってしまいがちです。確かにそれはその通りで、いきなりすべてを変えていくことはできません。でも目の前の人たちを幸せにするとか、目に前の環境を少しだけいい方向にもっていくことなら、誰でもできるはずです。それが1社でなくて10社だったり100社だったりすると地域は少しずつ変わっていきます。陸前高田は今の日本が抱える、地方衰退・人口減少が、津波の影響で先取りして起きてしまいました。そしてその間に私たちがやった行動は全部記録が残っています。だから日本で今起きている問題の処方箋を出すことができます。多くの挑戦と失敗、そして少しの成果がここにあります。陸前高田が失敗したことはやらなければいい、陸前高田が成功したことはマネすればいいのです。
 それと、有事の時に突然人のつながりができるということはないと思います。日ごろから互いの決算内容がわかるような密な関係を築き、金融機関と喧々諤々しても対等に渡り合える知識を持つ、これらができる経営者の団体が中小企業家同友会です。日本の将来を変えていけるのは、私たち中小企業経営者だと思います。

(事務局 田中)


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