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◆相澤友夫氏 千葉同友会相談役・鰍「しとも 取締役会長
(1975年入会・設立発起人、常任理事[船橋支部長、組織委員長、総務委員長]等を経て、1993年〜1994年代表理事、2009年より現職)
◆杉山武氏  千葉同友会相談役・トーク税理士法人 代表社員
(1976年入会、常任理事[経営委員長・政策委員長等]、副代表理事を経て、1995年〜1999年代表理事、2000年〜2006年常任理事・理事[中期ビジョン委員長]、2009年より現職)
◆北原俊彦氏 千葉同友会相談役・竃k原防災 会長
(1977年入会、常任理事[事業委員長・組織委員長]等・千葉支部長・副代表理事等を経て、1992年〜1994年代表理事。2006年より現職)
◆山崎忠雄氏 千葉同友会名誉会員・元ロータス叶齧ア取締役・初代事務局長
(1975年入会・設立発起人、事務局長・常任理事[広報・経営・教育委員長等]を経て、1995年より現職)

□司会:川西洋史氏(千葉同友会・専務理事)

川西:千葉同友会はお陰様で創立42年目となり過去最高の会勢1500名を達成し、若い会員の方も増えて世代交代期を迎えております。それだけに千葉同友会創立時や草創期の会員の皆さんの想いや苦労などをどう引き継いでいくか、また千葉同友会を今後どう発展させていくのかが問われていると思います。 そこで本日は千葉同友会の草創期に活躍された会員の方々にお集まりいただきました。それでは創立前後の状況について、山崎さんからお話願います。

創立前後の状況
「労使見解」発表の年に創立

山崎:千葉同友会の創立は、1974年の第6回中小企業家同友会全国協議会(*以下略称:中同協)総会で、当時東京同友会の会員だった志伊良正幸さん(新興自動車且ミ長・当時)と、島田克朗さん(鞄田建築設計社長・当時)が、「来年の中同協総会までに、千葉県に中小企業家同友会を設立する」という決意表明をしたのが始まりです。
 それから志伊良さんが中心になって大急ぎで準備を行い、当時志伊良さんの会社の社長室を借りて増強活動を行い、有志で世話人会をつくり経営者に入会を呼びかけ、発起人代表に斉藤豊さん(関東ヂーゼル且ミ長・故人)を選出し、規約や予算をつくるといった準備を経て、1975年5月28日に設立総会を開きました。当時議長役を私が務め会員数47名で創立いたしました。
相澤:私は創立当時、名前を貸すといった軽い気持ちで創立メンバーの名を連ねましたが、後々にそのことが大きな歴史的な意味を持つことを知りました。今まで目立たない裏街道を歩いていた私にとって、人生がひっくりかえるような出来事で、同友会に入ったお陰でたくさんの素晴らしい出会いができて感謝しています。
 当時私は32歳で右も左も分からない身でしたが、斎藤豊さん、志伊良正幸さん、島田克朗さんが千葉同友会のトップに立った点でとても恵まれていたと思います。この方々の働きが、後の同友会運動の発展に大きく関わってきます。
 1975年(昭和50年)は、中同協の「労使見解」(中小企業における労使関係の見解:中同協発行「人を生かす経営」所収)[*注参照]が発表された年であり、その当時は、経営者と労働者の関係は闘いであり、労働組合をどう抑えるかが経営者の手腕とまで言われていました。そんな中で「労使見解」は、経営者の姿勢を正すという真逆の発想を展開しており、自社の経営にとって大きな学びがありました。
[注:「労使見解」−@企業を維持発展させる責任は経営者にあり、環境や社員のせいにするといった他責にしないことを強調。A企業の維持発展をはかり、社員が働きがいを持てるために経営指針(理念・方針・計画)を作る必要性を指摘する、といった内容を含む]

【創立後の資金の苦労・活動の試行錯誤】
山崎:千葉同友会は「労使見解」発表という記念すべき年にスタートしたのですが、実際問題としては大変でした。設立はしたものの先立つ資金もほとんどなく、当時会費は3000円で会員も少なく、増強のための資料なんかもほとんど作れず、事務局の給料もなかなか払えないというのが実状でした。
 そんな状態が1年半続く中、乞われて私は当時勤めていた会社を辞めて事務局に入ったものの資金的にまったく余裕がなく、発起人で初代代表理事の斎藤豊さんが連帯保証人になって信用金庫からお金を借りて乗り越えたものの先立つお金がないため、第一回同友会基金を設立し、皆さんの協力で300万円を集め、また理事には一人あたり30万円を負担していただいたこともありました。
北原:最初は誰も余裕がなく、同友会に入会する人も仕事欲しさで来る人も多く、長く続かない人が多かったです。そんな状態では経営指針づくりなどは考えられませんでしたが、当時、若手の経営者が多く仕事をもらっている特定の一社に依存する体質からどう脱皮するのかが大きなテーマでした。
 そういったことから創立4年目あたりに、会内に有志の組織「五葉会」というのを作り、経営指針をテーマに例会を開くようになりました。これを起点にみんなが勉強をするようになり、会員も増え、潰れる会社も減ってきました。この会が経営指針作成の先駆けになったと思いますが、同友会は元々経営指針を作成するというテーマを持った組織であり、ようやく本筋に立ち返ったと言えると思います。
杉山:1980年から政策委員長の望月貢一さん(望月鉄工且ミ長:当時、故人)が中心になり私も協力して6回にわたるシリーズ「中小企業経営理論政策講座」が実施されるなど、経営を学ぶ取り組みをしており、そういった下地も指針づくりにつながったと思います。また、それ以前にも「産業別懇談会」を行い、千葉県の有力企業の経営者を呼んで講師をお願いし、1回で50名以上集まっていました。当時の望月さんの考えとして、千葉の同友会運動を千葉県の中枢に持っていきたいという思いから、千葉県の経済界のリーダーに同友会のことを知ってもらいたいという気持ちがありました。
 その当時は特に、「自主的な組織」というだけで左がかっていると白眼視され、過剰な反応もされていたので、同友会のことを知ってもらうのは大変なことでした。

【同友会と政治活動との関わり】
川西:政治活動との関わりについて同友会では既に確認されていますが、その流れはその時にできたのですか?
山崎:3年目ぐらいになったときに政治の問題について、同友会は運動体ということもあり、特定の勢力に侵されているのではという風評が一部にあり、同友会運動の障害になるのではないかと懸念していました。それで会で話し合いを重ね、今確認されているような、「個人としてはどの政党を支持するのも自由とし、同友会としては、全ての政党と公平な付き合いをし、特定の政党の支持をしない」という取り決めをしました。
 この問題について、1978年の第10回中同協総会の冒頭挨拶で望月さんが政党との関係について千葉同友会の取り組みを話し、全国の同友会の方々にも大変共感していただき、その時の全文を印刷して全会員にも流し、政党との関わり方がスッキリしました。
川西:設立間もない1977年に青年経営者全国交流会の千葉での実施が草創期の会を盛り上げたと伺っていますが。
杉山:そうですね。「青年経営者全国交流会」が一つの大きなポイントで、その後「青年経営者懇話会」ができて、北原さんが中心に盛り上げてくれ、中核にいる人たちに30代の方が多くなり、一気に会員も増えました。特に、代表理事をはじめ上の方々が若手を育ててくれる方たちで、若い経営者が活動しやすい環境でした。これは今の同友会の基礎にもなっていると思います。

【経営指針づくり運動の経緯・意義】
川西:創立期の情勢としては、第一次オイルショック(1973年)が終わり、高度成長期から低成長期に切り替わる境目だったと思います。そういった情勢から、今までのように単に大手にぶら下がって伸びる時代ではなく、経営指針を確立して自力で経営を良くしていかなくてはいけないという第1次・第2次ビジョンが先駆的に同友会として打ち出されていました。先ほど、北原さんから、初期の経営指針づくりについてのお話が出されましたが、経営指針づくりの意義や歴史についてお伺いします。
相澤:2代目事務局長の新山克己さんが事務局を辞める1990年に、新山さんの経営指針づくりについての情熱を生かすため、金本光弘さん(潟Tンヨーホーム)と磯貝寿夫さん(樺|屋)が中心となり、経営指針づくりを行う有志の組織、「館山塾」が作られました。私もその館山セミナーの卒業生であり、10年ぐらい経って講師の新山さんもお歳をとられたこともあり継続が難しくなり、それを引き継ぐ形でできたのが、今に続く千葉同友会の「経営指針成文化」セミナーです。当時、自社も船橋のホテルで、社員も含めて盛大に経営指針を発表し、とても驚かれました。やはり外に向けて発表するのは真新しかったと思います。
杉山:今話に出された館山での経営指針セミナーや市川浦安支部の長期経営計画づくりといった経験や教訓を踏まえて、今のような統一した指針づくりがスタートしました。最初は私もお手伝いしましたが、広浜泰久さん(ヒロハマ梶E当時代表理事・現中同協幹事長)や協力会員・事務局が中心となって今の経営指針成文化セミナーが軌道の乗ってきました。
 後に自分の作った経営指針や当時の資料を見ると、体系的にできてり、今でも通じるすごいものをつくっていたと思います。ただし、経営指針があれば経営ができるわけではありません。大事なのは経営者の意識変革です。会社を私物と見るのではなく、社員・顧客・地域の支えがあって存在できるものと気付くことが重要です。

【目先の利点だけを強調すると会がおかしくなる】
川西:その他、草創期の経験で触れたいことはありますか。
相澤:草創期に会として大きな教訓となったのが、金融機関との付き合いです。千葉同友会として「金融共済会」という組織を立ち上げ、同友会会員であれば定期預金さえ契約すれば無担保・低利で融資をするという協定が複数の地域金融機関と結ばれました。しかしながら、このメリットだけを目当てに入会する人も増え、十分な実態のない企業については保証人を求められ、私も随分迷惑を受けてしまいました。目先の利点だけを強調してしまうと、やはり同友会理念に共感できず、長続きしない方が多くなってしまうという痛烈な反省があります。
川西:「人材育成」の問題についてはいかがですか。
相澤:私は創立時から20年間はひたすら同友会に関わり、その後取り組んだのが、ずっと懸案だった石材業界のレベルアップです。うちの業界は経済産業省からも非常に低く見られており、全国統一組織がないため、相手にもされませんでした。そのため、全国の10団体を5年かけて説得して、墓石の小売店だけでなく、加工や運送など関わる全ての団体をまとめて、「日本石材産業協会」を作りました。そこで一致した考えが、「石屋もこれから勉強しなくてはいけない」でした。それで、江戸時代から続いている石材業界で初めて一斉の試験を実施し、「ディレクター制度」を導入しました。やはり勉強した会社は潰れていません。そして試験に合格した社員は仕事にプライドを持っており辞めません。そして今は船橋支部で街づくり・地域活性化を中心に活動しており、中小企業振興条例づくりにも取り組んでいます。

中小企業振興条例制定をはじめ、地域振興の中核となる同友会に
川西:今、中小企業振興条例についてのお話が出ましたが、県の振興条例策定(2007年制定)に深く関わってきた杉山さん、どうですか。
杉山:私は同友会は運動体だと思っています。そのため、ビジョンでも触れている通り、@良い会社、A良い経営者、B良い経営環境の三つの目的の追求とそれを成し遂げるための継続できる企業を作ることがテーマです。中小企業振興条例づくりについては、同友会をはじめ中小企業家が県行政と協力して作ったものであり、全国的にも先進的で民主的な成果であると思います。ただ、作った我々がそれをどう活用するかという問題が残っています。
 近年は、基本的には「新自由主義」が更に強化された形で進んでおり、強いものがより強くなる仕組みができつつあります。例えば大手量販店の場合、そのブランドを利用して集客し、営業力のない中小企業に安い価格で仕事をやらせる方法で収益拡大をめざしているのはその一例と言えます。その中で我々が生き抜くために、それに異を唱えるべきです。中小企業が元気でなければ地域がおかしくなってしまい、地域行政も立ちいかなくなります。今、国の方でも私たちの要望が通じて、中小企業憲章の閣議決定がなされたり、その流れの中で小規模企業振興基本法ができました。その結果、千葉県の条例も含めて、助成金などの施策をもっと中小企業とりわけ小規模企業を対象にするべきだという傾向になってきています。そういった行動を起こす中核になるのが同友会だと思います。

今後の千葉同友会への期待
川西:時間が迫ってきましたので、最後に現在の千葉同友会に期待したいことや新たに会員に加わった方に伝えたいことがあればお願いします。増強活動を中心に活躍されてきた北原さんからどうぞ。

【会員増強は、常に追求する課題】
北原:若い人が多くなったというのを見ると、まだまだ伸びる余地があると思います。ただ心配なのが、優れた突出したリーダーシップによって1500名を達成したという面が強いと思いますので、今後しっかり組織だって取り組みを行っていくことを期待したいですね。そうでないと減ってしまう心配もあります。
相澤:初期の頃の苦労というのは、先ほど出されたようにお金でした。事務局が自分の仕事に誇りを持つには、やはり会の体質がいつも健全でなくてはなりません。同友会の場合は多くの他団体と違って助成金をもらわず中小企業家が自前で作る会ですから、常に会員増強を頭に据えておかなくてはなりません。

【多くの会員に同友会での出番・役割を】
杉山:若手会員が増えて会の体質が変わっていくのは良いことだと思います。やはり若い人が中心にならなくては会が成長しません。どんどん若い人達を役職につけて成長してもらうべきだと思います。ただ一番大事なのは自分の会社です。会活動を一生懸命やることで企業が発展するサイクルを作ってもらいたいと思います。
山崎:教育や経営の研修を担当したことがありますが、委員をお願いしても拒む方もいます。「労使見解」などを説明し、また半ば強引に委員会に入ってもらうこともありましたが、1〜2年経つと、拒否していた人が「労使見解」を色々な角度から前に立って人に話すようになっていました。
 ですから、会員には極力何かの役に就いてもらうことが大事です。また、同友会に入ったのだから何かしら悩みがあるはずです。そういった方に同友会をどう活用してもらうかを事務局も支部の役員も徹底的に調べて、会員に参加してもらえるようにすべきでしょう。

【事務局は同友会運動のパートナー】
北原:私は事務局のことを付け加えたいのですが、自分の社員を育てることと事務局を育てることは同じだと思います。社員をパートナーと考えるなら事務局もパートナーです。最初のお金のない頃、自分達の会なんだからと我々で基金を出して自腹を切るのは当たり前でした。執行部が責任を持たないと誰も責任をもつ人がいません。同友会を支えているのは事務局員です。会社を支えるのが社員のように。事務局が誇りを持てるよう育てていく仕組みを築いてもらいたいと思います。
相澤:その通りですね。たまに事務局に対して会員が「俺たちが食わせているのだから従え」といった態度を感じる場合もありますが、同友会は北原さんが言う通り、事務局は同友会運動のパートナーですからむしろ運動のプロとして積極的に意見を言ってもらいたいし、そう言える環境を創るのも役員の仕事ですね。
北原:歴史があって初めて今があります。できれば、歴代の人と若い幹部の方々との交流の場があればいいと思います。
川西:貴重なお話、ありがとうございました。先ほど若手中心にしっかり頑張ってもらいたいという話がありましたが、それと同時に歴史を引き継いでもらう、また先輩経営者から学んでもらいたい部分があります。また逆に若手経営者から学ぶ部分もあると思います。
 最近になって、ようやく人に関する5つの委員会、経営指針・共育・同友会大学・共同求人・障害者問題が、総合的に結び付いて追求できる環境が整ってきたと思います。そういったことから、歴代の方々にも協力いただき、会員増強や地域振興を含めて総合的な活動を進めるのが今後の課題ではないか、というところで今回は締めたいと思います。長時間、どうもありがとうございました。

(事務局 道山)


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